「てめー、いきなり何すんだよ!」
 吊りあがった大きな瞳をさらに吊りあげて、松山が日向を睨む。けれども、その反応を日向は気に留めることなく次の工程へと移る。年月とともに丸みの取れた頬にふわりと触れれば、目一杯開かれた瞳が怯えたように揺れた。
「なに…」
 言葉を紡ごうとする唇に、日向は自分のそれを押し付けた。ゆっくりと触れて、ゆっくりと離す。すると一瞬間を置いてから面白いように松山が茹だった。
「ちょっ…」
 真っ赤に染まった松山から目を逸らさずに。
「やめ…!!」
 制止の言葉を最後まで待たず、もう一度塞ぐ。押し返そうとする腕を片手でまとめあげると、顎に空いている手を掛け口を開かせて、その中を舌で熱く愛撫する。
「んん…ッぅ…!」
 水音をたてながら舌で舌を何度もなめ上げる。唇の隙間から、唾液とともにくぐもった松山の声が漏れた。耐えるみたいな甘い声が日向を煽る。それに促されるままに、顎にかけていた手を服の中に潜り込ませ勢いよくたくし上げた。
 その刹那。
「何さらしとんじゃっ、ワレッ!!」
 ふいに外れた唇から色気も減ったくれもない怒声が零れ。そして、唯一自由になる足が、思いっきり日向の腹に蹴りあげた。

暗くなるまで待って

「い……っってえ!てめー何しやがるっ!」
「じゃかあしいわ!それはこっちの台詞じゃ、このボケっ!」
 イーグルショット並みの威力の素晴らしい蹴りをもろにくらった腹をさすりながら唸るように言えば、それは見事な大阪弁が返ってきた。だが、なんで大阪弁?という突っ込みを日向はしなかった。しなかった、というより、出来なかった、がこの場合正しい。
 上に羽織っていたシャツは肌蹴け、たくし上げられたTシャツの隙間からのぞく肌は窓から差し込む日光に照らされ白く光っている。あまつその顔は真っ赤に染められうっすらと涙まで浮かべているのだ、目の前の恋人は。
 エロい。そして可愛い。その姿だけで白飯三杯はイケそうなエロ可愛さだった。
 だから。
「とりあえず、ケツ貸せ」
「は……?」
「いいから貸せって言ってんだろ!」
「はいそうですか、って貸せるわけないやろがっ!!」
「ぬぁっ!」
 今度は強烈な右ストレートが綺麗に頬に極まり、日向は勢いよくベッドから転げ落ちる。そして床に頭を激しく打ち付けたような音が部屋に響いた。その音はきっと階下まで響いたであろう。それぐらいの音がしたのだけど。
「なんでお前はいっつもそうなんだよ!」
 当然松山が気にするはずもない。それどころかベッド下で動かない日向に止めとばかり蹴りを入れる。
「久しぶりに会ったてえ言うのに、いきなり押し倒しやがって!てめーの頭ん中はサッカーとそれしかねーのか!」
 合宿や試合でもなければ逢うのはおろか、会話すらままならないのに。
 毎日学校に行ってサッカーして。その中で逢う時間を作る暇はないうえに、東京と北海道という遠距離だ。暇があったとしても―養ってもらってる身分としては―逢いに行く資金はないに等しい。それに寮住まいの相手においそれと電話をかけるわけにもいかず(前に反町にからかわれて嫌になった)。本当にこんな風に二人の時間を持てるのは久しぶりだった。それもその実情を知った三杉が、たまにはゆっくり話したらいいよ、とわざわざ今回の合宿で同室にしてくれて(普段は不純同性交遊禁止と言って同室にはしてくれない)やっと持てたものだというのに、この男ときたら久々の再会に喜ぶとか近況報告するとか色々すっ飛ばして押し倒してくるのだから、松山の怒りは尤もと言えば尤もなものだ。
「てめー、聞いてんのか!」
 日向に反応はない。あまりの反応のなさに、死んだか?と松山は心配になった。が、もしこれで日向があの世に旅立ったとしても、松山は―自分のせいだとはいえ―日向が悪いと言い切るだろう。けれどもこんなところで旅立たれると後々面倒なので、松山が足で肩を揺すると、日向が、う、と唸って目を開けた。死んだわけではなかったらしい。やべ、川の向こうで父ちゃんが手招きしてたと起き上った日向に、松山は連れて行ってもらえばよかったのにと舌打ちをする。
「ひでーな」
「元はと言えばてめーが悪いんだろ」
「何が」
「はぁ!?」
 まだ頭が痛むのか、後頭部を何度も何度もさすりながら返した日向に、松山が真っ赤に頬を染めて反駁を始めた。
「何が、てお前、いいいいいきなり押し倒しただろ!」
 ああそんなことか、と思わず零した言葉を松山がお気に召すはずもなく。
「そんなことって!!」
「そんなもん、ヤりたいからにきまってんだろ」
 あっさりと答えてやれば、睨みつけてくる松山の目が、驚いたみたいに丸くなった。
「久しぶりに会ったんだからそう思うのはフツーだろ」
「で、でもっ…」
 思わず恰好を崩して口籠った松山に、これ幸いと日向はベッドの隅に追いやって壁に手をついて、囲い込んでしまう。
「お前は違うの?」
 少し困ったように俯く松山に今すぐ襲いかかりたい気持ちを抑えて、日向は迫った。息がかかるほど近付いて覗きこめば、黒い瞳が少し揺れる。
「好きな奴に久々に会えた。だから一刻も早く触れたい。お前はそうは思わない?」
 少しでも距離を取りたいらしい松山が顎を引いたおかげで、上目遣いになる。その視線に鼻血が吹き出そうだと思った。
「せ、せやけどな、会って速攻押し倒すんは…」
 松山がまた大阪弁になる。どうやら松山は予期せぬことが起ったりテンパったりすると大阪弁になることを日向は初めて知った。だが、なんで道民が大阪弁なんだ、とか色々と突っ込みたいが、今はそんなことはどーでもいい。
「明日から練習始ったらできねーだろーが。今日も晩飯の後ミーティングあるっていうしよ」
 それにな、と日向が追い打ちをかけるように続ける。
「俺、もう我慢の限界。触れたくて触れたくて仕方ないんだけど」
 ダメか、と黙ったままの松山に顔を近づければ、心底困ったような顔をした。そして日向に視線を合わさずにベッドのシーツをぎゅっと握りしめて。
「…あ、あかんわけちゃうけど…」
 呟いた。
 日向の気持ちは痛いほどわかる。会うのが久しぶりなら、触れるのだって久しぶりなのだ。早く隔てるものを取り外して、存分に味わいたいのは自分だって一緒だ。それを抗う理由はどこにもないのだけど。
「じゃあ…」
「ちょ、ちょう待てや」
「何だよ」
 焦らすような制止に身を乗り出して日向は問うた。すれば、松山が首まで真っ赤にして、ぽつりと呟いた。
「せ、せめて暗あなるまで待ってえや…」
 頼むわ、と聞き耳を立ててなければ聞こえなかったであろう声に、日向の元より蜘蛛の糸ほどの強度しかなかった理性が派手な音を立てて切れて。
「悪い、無理」
「え…、ちょ、ちょっと…、ぎぃやああぁぁぁぁっ!!!」
 …合掌。 


 その後、日向は松山に部屋を追い出され、フィールド外では口を利いてはもらえなかったそーな。
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