恋を知る日

 しん、と静まり返った寮の廊下に日向の軽妙な足音が響く。
 おざなりにかけられたタオルで雫滴る髪を拭きながら談話室の前を通りかかった時、日向はいつもは賑やかなはずのそこが珍しく静まり返っている事に気がついた。人の気配はある。珍しいこともあるもんだとそっと中を窺えば、そこにはソファーに身を沈めた幼馴染の姿があった。
「何してんだ」
 日向の声に幼馴染は振り向くと、人差し指を唇にあて、静かに、というジェスチャーをする。その仕草を怪訝に思いながら日向が背後から覗き込むと、幼馴染の膝の上で眠る少年の姿があった。遠目からでも分かる長い睫毛を伏せて、健やかな寝息を立てる少年は反町だ。
 キーパーとしてはやや細い指が流れるような黒髪を梳くっては撫で跳ねる。
 二人の空間に足を踏み入れる場所はなく、いけないものを見てしまったような居心地の悪さを感じながらも日向は近づいた。
「なんでお前が膝枕してんだ?」
「髪、拭いてたら寝ちゃったんですよ」
 そう小声で問う日向に、溜息とも吐息ともとれない息を吐きながら幼馴染が答える。
「お母さん、みてーだな」
「お母さんって……せめてお父さんぐらいにして下さいよ」
 うんざりといった声で答える幼馴染の指は途切れることなく、無防備に眠りこける反町の柔らかそうな黒髪を撫で梳く。
 幼子を寝かしつけているような光景。
 そんな微笑ましい光景を見守っていた日向の視線は反町に注がれていたが、何気なしに見上げた幼馴染の表情に日向の表情が強張った。
 こめかみが引き攣り、胸の中に苦いひんやりしたものが広がって。心臓が早鐘を打ち、それに呼応するように反町にか幼馴染にかは分からないが訳もなく動揺し、苛立つの感じる。
 ただの友達にあんな顔をするのだろうか……母親というよりも恋人を慈しむような…。
 できれば一生見たくなかった表情だった。


 反町を見つめる幼馴染は恋をしている顔をしていた。
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