triangle

 横に長い三人掛けのソファの上に大胆に寝そべる男の足は無造作に組まれ、腹の上に立てた本の文字だけを瞳が追いかける。無作為な長髪が窓から流れ込む風を受けてふわりと揺れる様も含め、何故かその、この男にしては、不調法な態度が、理知的な中に僅かな倦怠を孕んでいて、とても優雅なものに思えた。
 男はよもや反町からそのように思われているとも知らず、腹の上の本から顔を上げないまま独り言のように声だけで訪ねてきた。
「なあ、お前に触ってもいいか」
 いきなりの問いに、反町は唖然としてしまった。
 驚きを隠さないまま男を見返せば、彼はまだのんびりと本の活字を追いかけていた。
「触るって…」
「触りたいんだよ」
 尚も食い下がる男は、小さなため息の後に本を閉じて膝の上に置くと、気怠そうに反町を向く。
 その余りの艶っぽさに反町の胸がドキリと跳ねるのと同時に、すっと伸ばされた腕が反町を手招いた。
「俺がそっちに行くの?」
「早くしろ。手持ち無沙汰だ」
 わがままな男の言い分に反町はしぶしぶと従って、ソファで横になる男の傍まで歩み寄ると、伸ばされたままだった手にそっと自らの手を重ねた。
 その手触りを確かめるように、男は反町の手を何度も握ったり、なぞったりする。
 本当に触れていただけだったその手が、次の瞬間、強引に反町の腕を引いた。
 制止する間もなく、腰を抱かれ、引き寄せられ、反町は男の腹の上に覆いかぶさるようにして、うつぶせに倒れた。
「何する……」
 抗議の声は、だが、出る事なく飲み込んでしまった。
 反町の腰を絡めとった腕が強く、その身体を抱き締める。余りにも力強くて、反町は男の胸に倒れたまま、じっとしている他なかった。
 もう片方の腕が小さい頭を抱えるようにして後頭部を抱き込むと、反町は全身の力を抜いた。
 仕方ない。
 どうやら、彼は甘えたモードらしい。
「ちょっと、力抜いて、苦しいって」
「嫌だ」
 子供のように駄々を捏ねる男は、反町の髪の中に唇を埋めて、子供にしては些かセクシーすぎる声で低く呟いた。
「嫌だって、あのねぇ、」
「そういう気分なんだよ」
 珍しい物言いに。
 聞き分けのない子供みたいで、何だかこそばゆい。
「けーんちゃん?頼むよ、いい子だから」
「いい子じゃなくていい」
「困ったなあ。これじゃ、キスできない」
 男の指先がぴくりと小さく跳ねる。
 反町を抱き込む腕の力が僅かに弱まり、その隙間に反町はゆっくりと上半身を起こした。
「キス、してくれるのか」
「してほしいの?」
「当たり前だろう」
 そう呟く男の前髪を掻きあげ、反町は唇を押しあてる。
 されるがままになっていた男は、だがそれで反町のキスが終わりなのだと悟ると、強く腕を引いて、その唇に迫った。
「…何やってんだよ」
 反町と若島津の唇同士が触れ合う寸前、差し込まれた掌に二人の唇が当たった。
 ソファの背もたれの向こう側から身を乗り出した日向が、ニヤリと笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「あ、日向さん。おかえり」
「ただいま」
「監督の呼び出しって何だったの?」
「あー、サッカーと同じぐらい勉強もしろ、だとよ」
「しょうがないよねえ。赤点、五つもあればね」
 反町は若島津の胸の上で起こした上半身を日向に寄せて、その頬に挨拶代わりのキスを落とす。
 日向が身をかがめてキスに答えると、それを下から伺っていた男はわざとらしいため息を零した。
「何やってんですか」
「何だ、やきもちか?」
「わ、日向さん!」
 ふわりと掠めるように、若島津の頬に触れたのは日向の唇。
 ぎょっと目を剥いた男の、その慌てふためいた様子に反町は思わず大きく噴き出した。
 さすが日向。嫌がらせに年季が入っている。
「ちょっと!」
「なんだ、口にしてほしかったのか?」
「いらねーよ!反町、消毒!早く!」
「っとに、わがままだねぇ、健ちゃんは」
 騒ぎ立てる男の頬に唇を押しあてて、反町は笑いに肩を震わせながら、おまけとばかりにその唇も奪った。
 虚をつかれた若島津が呆然とする横で、今度は日向が反町の顎に指を掛ける。
「え、なに、日向さんも?」
「何か問題か?」
「いや、いいよ」
「じゃ、遠慮なく」
 二人はちらりと微笑んで、その唇を軽く触れ合わせる。
「あ、でも、これで二人とも関節キスだ」
 無邪気な言葉に、男二人が揃って嫌な顔をしたが、反町はどちらが口直しにキスをするかで揉める前に、若島津の胸の上で昼寝を決め込むことにした。



 騒ぎを聞きつけた小池が、バカ三人の、しかも同じソファで戯れる様子に吐き気を催し、また同じように駆け付けた島野が呆れて肩を竦めたのを、最後まで寝ていた反町は知らない。
 知らなくて良かった、と。
 決まりの悪い思いをした二人には悪いが、反町は寝ていた事にこっそり感謝した。
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