罪深く愛してよ

 もういっそのこと。
 心さえも盲いてしまえばいい。
 ねえ。
 罪深く愛してよ。


 か細い音がする。
 聴覚に染み込んでくるような、優しくも寂しい音。
 重い瞼をこじあけて白い喉を浮かせれば、斜め頭上の窓ガラスからは逆さまになった空が見えた。低く重く垂れ込めた鉛色の雲。それから滴る雫が、外の景色を濡らしていた。
 音の正体は雨。
 数時間前まではあんなに激しかった雨は鎮まり、ただ静かに降っている。泣いてるように見える空から、視線を外すと反町は息を大きく吐き出した。
 その刹那。
 微かな寒気に身体が身震いした。抱き合った後の身体は酷く重い。ギシギシと軋む身体を動かして、情事の跡が色濃く残るシーツに身体を包ませる。適度な温もりが素肌に触れて気持ちがいい。
 まだ少し眠い。
 覚醒しきってない頭が誘う眠気に身を委ねようとして、寝返りを打とうとした時。そこで反町は自分の身体に男の腕が巻き付いていることに気が付いた。
 そして、意識した。
 この男と何度も身体を重ねたが、その実、ただ一緒に寝る事は初めてだった。反町は若島津に抱かれたまま、ゆっくりと身体を捻る。自分の方を向いて静かに寝息を立てる男の顔を見つめ、思わず笑みが零れた。
 愛しくて。
 冷たくも熱を秘めた、その閉じられている瞳も、優雅に弧を描く眉も、涼しげな鼻筋も何もかも愛しい。
 たとえ自分を愛していなくとも。
 この男は一体誰を愛しているんだろう?
 この男は自分を抱きながら誰を見ているんだろう?
 情事のさなか、何度も真実に迫ろうとしたが相変わらず男の心は謎めいたままだ。
 お前の心は誰のモノ?
 そう素直に聞ければいいが、そんな事、自分が聞けるはずもない。
 反町は自分の身体に巻きつく腕をゆっくり持ち上げた。まだ眠りの中にいる身体を強引に仰向けにすると、低く唸る若島津をよそにその腹に跨る。
 肩から腰元へと滑り落ちたシーツの下から紅い痕で彩られた自分の肢体が露わになり、反町は自分の身体の淫猥さに息を飲んだ。
 こんなに激しく抱かれたのかと。
 驚くと同時に、ゆっくりと痕をなぞる。儚くも消えるであろう、紅い鬱血痕。それすら愛おしい。
 痕だけではない。この愛しい男が与えたものなら、何だって手放したくない。叫びたくなるような快感も、泣きだしたくなるような羞恥でも、身体を蝕む鈍痛ですら。
 この男は俺のモノだ。手放してなんかやらない。
 たとえ、この男の中に幼馴染という存在が確固たる地位を築いていたとしても、それを塗り潰したいぐらい。
 強く、深く、愛している。
 自分以外の人間に目をくれるなんて許さない。
 幼馴染であろうと何であろうと、俺以外の人間に目をくれる隙など与えてやらない。
 これは嫉妬だ。
 自分の中に巣食うどす黒い感情の正体に気付いて、反町は嗤った。
 馬鹿馬鹿しい想いだ。自分の事を愛してもない男の中の巣食うモノに嫉妬してどうする?それでも、悔しいと思うほどに、その憤りが募る。
 俺だけを愛してよ。
 そう内だけで罵って、仰向けに眠る男の胸板に爪を立てると、微かに呻く男の唇を強引に塞いだ。構わず唇を舌先だけで愛撫し、食らいつくように貪る。鼻にかかった声を洩らし煽るように身体に手を這わしてやれば、不意に腰を抱き寄せられて一方的だったキスが競うものへと変わった。
「んッ…」
 口内に侵入してきた舌に絡めとられて、悪戯に吸い上げられる。ようやく起きたらしい男に反町も負けじと舌を追えば、微かに笑ったような気配が伝わった。
 煽るように。
 焚きつけるように。
 反町はわざと声を洩らして、キスを淫靡なものにしていく。
 忘れてほしい。
 全て忘れてしまって、今は俺だけを見ていればいい。
 だが、不意に唇が離れて、やわく身体を押し返されてしまった。突然の中断に反町は眉を顰めると、若島津からはあ、と呆れたような溜息が洩れた。
「…何やってんだ、お前」
「さあ、何だろね」
 腹の上でわざと腰を擦りつけてやれば、ぎくりと若島津の顔が歪んだ。
「…ケダモノか、お前は」
「お互い様だろ?」
 口の端を吊り上げ昨夜の情事を揶揄してやれば、疲労の色を滲ませ若島津はまた呆れたように吐息を吐き出す。そのくせ腰を抱く手を外そうとはしない。
「お前が悪いんだ」
 反町の言葉に若島津はわからないといったように眉を顰める。
 いつまで経っても俺のモノにならないお前が悪いんだ。
 俺以外の人間に心奪われているお前が悪いんだ。
 お前の瞳に映るのは俺だけでいい。
 それなのに俺を映してくれないから、身体だけでも繋ぎ止めておきたくなるんじゃないか。
「で、どーすんの?」
 誘うように瞳を眇めれば、若島津は観念したかのように小さく笑う。冷えた瞳の奥に微かに欲情の色が滲む。
「…いいけどな……それにしても絶景だな」
 そう言って反町の胸元を優しくなぞる。自らが付けた紅い所有根を、満足げに目を細めながら。
「…も、そんなのいいからさ」
 早くと浅ましく強請る反町を腹の上に乗せたまま、若島津は強引に起き上がる。
「もう一回お前の中でイカせろ」
 凄艶な笑みを浮かべ呟く男に、反町はキスで答える。引き寄せるように首裏に腕を回せば、それに答えるように男が強く掻き抱く。
 そうして二人して快楽の海へと溺れていった。


 もういっそのこと。
 心まで盲いてしまえばいい。
 貴方の瞳に俺しか映らないように。俺の瞳に貴方しか映らないように。
 貴方となら、何処までも、何処へでも堕ちていけるから。
 それぐらい愛してる。
 だから頼むよ。俺を何時までもその鎖で繋いでいて。
 そして、罪深く愛してよ。
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