不機嫌な背中・1
真黒な空に浮かぶ満月。
情事を終えたばかりの身体は気だるくて、雲の隙間から零れる月光をその肩越しに、ただぼんやりと眺めていた。
しんしんと、ただ沈黙だけが降り積もる。
無言に窓の外を見つめる男と、ただ静かにその背中を見つめる自分。
一糸纏わぬ男の背中に、反町の中で苦い思いが込み上げる。つい先ほどまで狂おしいほどの熱を分け合っていたのに、と。
だからと言って、甘い睦言を囁いて欲しいわけではない。もし向けられたとしても自分は憎まれ口を叩くに決まってるから。気付かれぬようにそっと息を吐くと、反町は黙してその背中をぼんやりと視線で辿る。
広い肩、広い背中、引き締まった腰に長い手足。
男らしく、引き絞られた綺麗な背中。
ふと、触れてみたいと反町は思った。
自分のものではない、その背中に。
拒絶するようにいつも神経の張り詰められた、その背中に。
その背の、その肌の温度を知っている。先ほどまでの行為の最中、抱き寄せ縋った感触を覚えている。だけど、今、触れたかった。警戒もなくまるで預けるような、でも拒絶しているような背中に、どうしても。
伸ばした指先が触れる。辿るように撫でるように指先を滑らせ、掌をぺたりと添える。固く張り詰めた、その背中。幾分か熱を逃した肌は、まだ熱くしっとりと濡れていた。
「どうした」
若島津が不思議そうに声をかけた。その声はいつもより甘く、落ち着いていた。
「…いや」
何でもないと、頭を小さく振って答えた。
相変わらず素直じゃないなと、反町は思う。素直に甘えることが出来ない自分が疎ましい。けれども、せめて今だけはと、重い身体を引き摺るように起き上がると、背中に頬を寄せた。
寄せた頬から、力強い鼓動が響いてきて。酷く幸せな気分になる。でも同時にむなしくなる。
どうやってもこの背中は自分のものではないから。
独り占めできたらどんなに幸せだろう。
なあ、お前は誰のもの?
「若島津…」
バカな事を言おうとしている自覚はあった。でも、知りたい衝動は止められない。
「好きな奴って…いるの?」
聞くんじゃなかったと、言ってすぐに反町に後悔の波が押し寄せた。だって、この男の中に巣食うのは自分ではないと分かっていたはずなのに。
「…聞いてどうする」
「なんとなく」
当然、そう聞いてくる若島津に、反町は興味本位と、誤魔化した。若島津は呆れたような溜息を一つ吐くと、短く告げた。
いるよ、と。
その答えに、ずくんと、反町に胸に強い痛みが刻まれた。なんとなく、お前じゃないと、言われたような気がして。
「…そ…っか…」
じゃあ、何故この男はこんな関係を続ける?恋でもなく愛でもない、薄情ともいえる危うい均衡の上に成り立つ関係を。
好きな人とは大方幼馴染だろう。そういう気持ちがあるのであれば、さっさ幼馴染のもとへ行けばいいのに。
「じゃあ、何で俺と寝るんだよ」
ぶっきらぼうに呟かれた言葉に、若島津が振り向いた。
「好きな人がいるのに、俺とこんなこと、してて良いの?」
良いと肯定してもらいたいのか。
ダメだと否定してもらいたいのか。
それすらも分からないまま、反町は感情の赴くままに言い募った。
「それは……お前が誘うから」
だからってそれはないと、反町は無表情に、あっさりと言い切った男を見据えながら、酷く落ち込んだ。
確かに、誘ったのは自分だ。今日も、その前も、初めての時も。
でも、だ。
誘われるまま、足腰が立たなくなるまでに自分を抱いてきたくせに、なんて物言いだろう。
充分、自分も愉しんでたくせに、何故、今更そんな言われ方をしないといけないのか。
「…悪かったな」
この関係に悩み続けてきたのは自分が、浅はかで、浅ましくて、愚かで、哀れな生き物のように思えてならない。
「…じゃあ、もう誘わねえよ。お前との関係も金輪際だ」
そう吐き捨てると、反町は乱暴に起き上がると衣服を纏う。
瞳の縁に涙が堪っているのを若島津に気付かせずに、そしてやはり乱暴に部屋を出て行った。