強者どもの夢の跡

「…こりゃ、ひでーな」
 松山は毒づくと、はあ、と一つ溜息を零す。
 合宿最終日の恒例になりつつある打ち上げ。辺りを見渡せば、そこかしこに屍と化した酔っ払いのなれの果て。この屍の面倒を見る羽目になるのは最後の最後まで正気でいられた人間か飲めない人間であり、酒に強い松山はこっち側の人間になることの方が多い。
 だが、松山は介抱する気にはなれなかった。いつもなら最後まで付き合い、屍を引き摺ってでも部屋まで送り届けてやるのだが、今日だけは。ハッキリ言って身体が持たない。
 壊れたように笑い続ける関西人。一升瓶を抱え、呑み比べをする九州人とその後輩(勿論中身は焼酎)。オーバーペースで呑み続けた為、胃の内容物が逆流しかかってる奴までいる。
 それを一人で面倒見るなんて、到底不可能なことで。
 ハジけすぎだって、お前ら…。朝になったら絶対三杉にぶっ飛ばされるよな…。
 その光景を思い描いてしまって、松山は少し身体を震わす。
 …ほっとこう。
 誰にも気付かれないように、コッソリとその場から抜け出す。そしてなるたけ足音を出さないように歩きだした。
 何であんなになるまで呑むんだろう?
 ハッキリ言って介抱する側からすればいい迷惑である。もう皆、いい大人なのだ。いい加減、酒の飲み方ぐらい覚えて欲しい、と松山は切に思う。その日は来ないだろうけど…多分。
 なんとなく溜息が零れて。自室に続く角を踏み出した所で、松山は踵を返した。階段を駆け上がり、上を目指す。
 急に外の空気が吸いたくなった。酔いざまし…というほど酔ってはいなかったが。


「…何してんだ、てめーは」
 誰もいないと思われた屋上には、松山の予想に反して先客…日向が居た。その傍らには放り投げられた無数のビールの空き缶。どうやら一人で呑んでいたらしい。
「下は?どうせ皆酔いつぶれたんだろ?」
「あぁ、うん、ぐちゃぐちゃ。騒ぐだけ騒いで、ぶっ倒れてる」
「…やっぱな。朝になりゃあ起きるだろ、ほっとけ」
 言いながら、日向はビールを呷る。
「…お前いつからここで呑んでんだ?」
「うちの宴会部長がつぶれてから」
 些か呆れたように答える日向に、松山は苦笑を滲ます。そんな松山を見遣ると自分の隣をぽんぽんと叩き、突っ立ったままの彼に座るように促した。
「…で、その宴会部長は?」
「若島津が介抱してんじゃねーか」
 吐き捨てるような言葉に「ふぅん」と気のない返事をした、その刹那。
「騒がしい酒は好きじゃねーんだ」
 差し出された、汗のかいた缶ビール。
「言っとくが飲み比べはやらねえからな」
 付き合えと表情で示してくる。松山は受け取るとなんとなく「乾杯」と缶を寄せた。
「…温ッ」
 半分ぐらいまで呷りながら松山は吐き捨てるように呟く。
「じゃあ、返せよ」
「やなこった」
 にやりと口の端を釣り上げると松山は一気に飲み干し、勝手に二本目のプルタブを引くとまた先ほど同じように流し込む。温くなって身体に染み込む感覚こそないが、喉に潤いをもたらすのには充分で。美味く感じた。たまにはこうして静かに呑むのもアリだな、と松山は思う。
 二本目もあっという間に呑み干してしまって、三本目に手を伸ばした。
「ちょっ、お前ペース早すぎ!」
 伸ばした手をパシッと叩かれて、松山は口を尖らせる。
「別にいいじゃんか、俺は酔っ払い相手でゆっくり呑めなかったんだぜ」
「…捨て置いてきたくせに」
「何だよ、てめーはどさくさに紛れて抜け出したくせに」
 恨みがましい目で日向を軽く睨みつける。
「いつもいつも途中で抜け出しては、酔っ払いの世話なんてしたことねーしよ」
「俺はうちの宴会部長の世話で忙しーんだ」
「それも若島津に押し付けてんだろ?」
 そう言われると日向は何も言えない。ま、事実だし。ぐちぐちと言い出した松山を完全にスルーし、日向はどんどんとビールを呑み干していく。
「…第一さ、ペース配分を解ってないんだよ、あいつら。ぐてんぐてんになるまで呑みやがってさぁ、マジめーわく。俺だってたまには記憶ぶっ飛ぶまで呑みたいときもあるのに…って聞いてるか?」
 聞いてません。
 松山が一人喋ってる間に、傍らの空き缶の量が更に増えていた。
「おい、独りで呑んでんじゃねーよ!ヒトの話を聞け!」
「…眠い」
「は?」
 一瞬の視界の片隅に入ったのは、実は座っている日向の目だった。普段から目つきが悪いので、よくよく見ないとわからないのだが。
 えっ…こいつ酔ってんの?と松山が思った時点で事は起きていた。
「って、膝でねるなぁぁー!」
 所謂、膝枕ってやつである。
「んー…うるせーなあ」
「うるせーじゃねーよ!さっさとどきやがれ!」
 だが、松山の叫びもむなしく、日向は既に寝息を立てていた。しかも幸せそうに。
 何とかして、膝からどかそうとするがびくともしない。
「何でお前の面倒まで俺が見なくちゃなんねーわけ?」
 松山は蚊の鳴くような声で呟きながら、硬質そうな髪を撫で梳く。
 …ずりーよなぁ。
 日向が気持ちよさそうな顔をしたから、松山は怒れなくなってしまって。不本意であるがそのまま寝かしてやることにした。


 一体どれぐらいこうしていたのだろう。
 何気なく空を見上げると、徐々に空の端が薄く色づいていることに気がついた。
「…あーあ、完徹になっちまったなぁ」
 酔っ払いの世話に明け暮れて、徹夜なんて自分ぐらいなもんだろうなあ、と松山は思う。
 自分の膝を占領している日向に起きる気配はない。
 …起きるまで寝かしといてやるか。
 そう内心で呟くと、松山は幸せそうに眠りこける日向の髪をまた撫で梳いてやった。
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