取扱説明書

 何、これ…。
 激しい練習で疲弊した身体を引き摺って、自宅に辿り着いたと思ったら、妙なモノが転がっていた。
 多分、人間。というか、ガタイのいい男だ。
 体育座りのような格好で、両腕に何か酒びんらしきものを抱えている。そして、極め付けに頭に巻かれた大きなリボン。
 …近付きたくねえ。
 数歩離れた場所でそれをしげしげと観察しつつ、ため息を零した。
 今すぐベッドにダイブして惰眠を貪りたいのに、何故こんな時に限って訳のわからないものに遭遇しなければならないのか。だが、これをどうにかしなければ、部屋に入れない。つまりは退けなければいけない。これっぽっちも関わりたくないが、避けられないのなら仕方ない。もう一度深い溜息を吐いて、玄関前に立ち、転がっている男を眺めた。
「あれ…?」
 大きなリボンに封筒らしきものが貼り付けてあった。それをそっと剥がせば、見覚えのある顔が現れた。
「松山…だよな、これ…」
 露わになった松山の顔は、気持ち良さそうな寝顔だった。ぐうぐうと寝息を立て、時折鼻を鳴らしている。すっかりと出来上がって寝入ってしまったのだろう、酒臭いし顔も赤い。
 察するに、飲み会の途中ここに来たのか。それとも誰かに連れられてきたのか。どちらにせよ、酒に酔った上でのことだろう。
 それよりも問題は、何故松山がここにいるかということだ。取り上げた封筒を開けてみれば、四つ折りにされた手紙とそれより一回り小さいメッセージカードが一枚。とりあえず手紙の方を広げてみる。
「えーっと、取扱説明書?」
 題字は大きく書かれていて、暗がりと言えど簡単に読み取れた。
「商品名、松山光。品番TCB−13390…?」
 何だ、コレ。
 意味のわからない内容に首を傾げつつ読み進める。だが、その文章の下に書かれた文字は判別しづらく、そこで添えられていたメッセージカードの方に目を落とす。
 …。
 ……。 
 ………マジですか。
 書かれていたのは、非常に短い文章だった。けれども、理解するまでにかなりの時間を要した。
「飲ませすぎました。後はよろしく」
 見覚えのある字が記してあった内容に愕然とする。要は体よく酔っ払いの介抱を押しつけられたのだ。あの悪魔のような友人によって。
 何で、俺んとこに運んできたんだ、あの野郎!
 一瞬で怒りがわき上がったが、何とか堪える。
 よくよく考えてみれば、酔っ払いの介抱を押し付けれた自分も大概可哀そうだが、こんなところに捨てられた松山の方が可哀そうに思えてきた。自分が帰ってこなければ、一体松山はどうなっていたのだろう?それを思えば、松山に冷たく当たるのは憚られた。
 はあ、と盛大に溜息を吐いて松山を見遣る。それにしても平和な寝顔だ。いっそこのまま眠らせてやりたいと思うくらい。もごもごと口の中で何か呟いて寝入る様は、ペットを愛でるような気持ちにさせた。
 …床に転がしとけばいいか。
 仕方ないと嘆息し、松山を抱え上げようやく玄関の扉を開けた。


 松山は抱え上げられても目を覚ます気配はなかった。酒びんもしっかり抱え込んだままだ。
 靴を脱がせ部屋に上がる。さすがに床に転がすのは気が引けて、ソファに転がした。
 まずはシャワーを浴びて一息ついたところで、灯りをつけた部屋で先ほどの説明書を読み返してみた。
『各部の名称と働き』
 何やら事細かに記してある。
『頭‐松山は自分のキャラ作りに悩む時があります』
 いや、悩まねー、悩むようなキャラじゃねーだろう。
 ツッコミを入れつつ読み進める。
『胸部・腕‐松山は献血をしたいと思ってますが、血を見るのが苦手なので躊躇します』
 へえ…血、嫌いなんだ。
『腹部‐松山は基本質より量なので、安くて旨くてボリュームのある店を知っています』
 確かに、あいつは質より量だな。
『下半身‐松山は小さい頃はいつでもひざ小僧にかさぶたが出来ていました』
 あ…、それっぽいな。
 更にその下にも注意書きやら故障時の対応方法、挙句の果ては正しい落とし方などつらつらと説明文は続く。そして最後はこんな文章で締められていた。
『素敵な松山をいつもガンバっている貴方にプレゼントいたします。煮るなり焼くなり貴方のお好きなようにご利用くださいませ。開封後は返品不可。原産地北海道』
 プレゼントって何?好きにしていいって何?据え膳でも頂けって言うのか?
 いや、その前にコレが松山の取扱説明書でいいんだろうか?そもそも、松山に取扱説明書が必要なんだろうか?
 手の込んだ悪戯に頭が痛くなる。
 どーしたもんか…。
 こんな不可解な説明書をつけた犯人の意図が気になる。松山を叩き起こしてでも事情を聞きたいところだが、そんなことをしても松山本人は知らないだろう。
 もう寝よう、寝てしまえ。仮にそれが分かったところで、理解することなど困難だ。はあ、と息を吐いてがりがりと頭を掻きながら、ソファに転がる松山を見遣る。
 服を着込んだままでは寝苦しいだろう。せめて恰好だけでも楽にさせてやろうと、酒びんを取り上げ、きつそうなジーンズも取ってやる。頭に巻かれたままの、やたらと存在を主張する大きなリボンを取ってやれば、変な癖がついていた。髪をくしゃくしゃと撫ぜていつもどおりになおしてやる。寝顔だからなのか見慣れた顔なのに、いつもより少し幼い感じがして、人に突っかかってきては殴り合いをしかけてくる相手と同一人物とは思えない。
 そうなれば今度は狭いソファに転がしておくのが悪い気がしてきた。起こさぬよう抱え上げベッドに寝かせ、上掛けをかけてやる。大人二人で一つのベッドは狭いけれど、それでもソファよりはマシだろう。
「んん…」
 ごろ、と寝返りを打ち、何かを探すように掌を泳がせる。その手を取ると、松山は安心したようににんまりと笑った。
 なんか、いいな。暖かくて、安心する。
 酒のせいで熱い掌が心地いい。幼いころ、父が頭を撫でてくれて感覚に似ていると、心地よさに隣に寝転がり瞳を閉じる。
 自分の取扱説明書を見せられた松山はどんなリアクションをするのだろう?
 すぐにやってきた眠気に身を任せつつ、そんなことを思った。

 
 翌朝、うわあ、と叫ぶ素っ頓狂な声で目が覚めた。
 ぼんやりとした頭で、昨夜松山を拾ったことを思い出した。けれども、深い眠りから覚めたくなくて、跳ねのけられた上掛けに見当をつけて手を伸ばせば、指先に何かが触れた。
「ひゃっ!」
「…うるせー」
「ひひひひひゅうがっ」
「まだ眠いんだよ」
「ちょ、待て、寝るな!これ、どーなってんだよッ、ここどこだよッ、何でお前がこんなとこにいんだよッ、つーか、何でお前が隣で寝てんだよッ!」
 混乱してるのか、喚き立てる松山はこちらの要望は聞き入れてくれそうになく、何だか妙に必死だ。まあ確かに、事情が分からない以上仕方ないだろう。
 ふあ、と欠伸をしながら身体を起こすと、ベッドサイドに置いたままの紙切れを差し出した。
「何だよ、それ?……取扱説明書?」
「お前、それ頭に貼り付けて、玄関先に転がってたんだよ」
「は…?」
「どっかの誰かさんが俺にプレゼントしてくれたらしいぜ」
 説明書の内容を理解したのか、松山の顔がみるみる青くなっていく。
 その様子に笑いを噛み殺し、自分の取扱説明書などをみた松山が一体どんな反応をするのか見守った。
「好きにしていいんだってさ」
 顔を寄せ、耳元で少し意地の悪い事を言ってみる。
 男同士、ということはこの際置いといて。
 酔いが覚めて目が覚めたら覚えのない相手とベッドインなんて状況で、好きにしていい、の揶揄することを理解出来ないわけがない。いくら鈍い松山と言えどだ。
「俺、寝てる相手を無理やりとか、合意がないのは好きじゃねーからまだ何もしてねーけど。…て言うのは冗談だけどな。まあ、酒に飲まれるのもほどほどにしておいた方がいいんじゃねーの?」
 さっきまで青かった顔は、今では熟れたリンゴのように真っ赤に染まってる。唇を震わせ、言うべき言葉を探してる様をただ黙って凝視した。
「あ、あ…」
 ひくっと喉を鳴らして、みるみる瞳が潤んでいく。動揺のせいか目元が落ち着きなく泳いでいる。
 瞬間、湧き上がってきたのは自分でも予測してなかった感情だった。
 可愛い、と思う。そして同時に、誰にも見せたくない、と思うし、このまま押し倒してしまいたいと思う。
 誓って言うが、これまで松山に対してそういった感情を抱いたことは一度もない。けれども、何かにつけ人に突っかかってきて、ケンカばかりで、これっぽっちも可愛さなんて持ち合わせていないはずの松山を可愛いと思ってしまったのは紛れもない本音で、そんな男を押し倒してしまいたいと思ったのもどうしようもない事実だった。
 どうしようか。
 湧き上がってきた感情に身を任せるのが一番楽だ。とはいっても、自分でも制御しきれそうもないものに委ねるのは危険だ。正直、自分でもどうしたいのか先が見えない。
「あ、あの…日向」
 突然の呼び声に我に返った。じっと凝視していたことに気づいていたのか、松山は更に頬を赤く染めていた。
 ああ、もう。
 まだ自分の感情はつかめないままだが、松山に一瞬でも欲情した事実と、抱いてしまった感情に覚悟を決めよう。
 松山の握りしめてた説明書を取り上げると、『所有者・日向小次郎』と書き加えた。こんな紙切れに何の効力もないのは分かってはいるが、しばらく自分の元へ置いておく材料にはなるだろう。
「今日からお前、俺のモンな」
「……はぁ?」
「だから、俺の許可なしで飲みにいくなよ」
「ちょっと待て、何だよそれ。何でお前が勝手に決めんだよ」
 再び喚く男に、もう一度説明書を見せる。最後の一文と書き加えた部分を強調しながら。
「ここに書いてるだろ。お前は俺へのプレゼントで、俺の好きにしてもいいんだよ。それに昨日開封したから返品も出来ねーし」
「そんなの関係ないだろ、誰がそんな説明書なんて認めるか!」
 絶対、絶対に俺は認めないからな!と騒ぐ松山に、当分退屈しなくて済みそうだと笑った。
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