So special

 ぐるぐるしてる。それが分かる。
 何を今更迷うことがある?
 何を今更惑うことがある?
 好きだという気持ち。
 それさえあれば、どこまでもいけるとそう思っていたはずなのに。
 何故、不安に思うことがある?


「なあ、言ってよ」
 ソファに深く腰掛け、自分よりも小さな身体を足の間に挟んで閉じ込めた新田は、目の前にある後頭部に柔らかく唇を押し当てた。
 艶やかな黒髪は何処までも柔らかく、その甘く誘う香りに新田は息を詰めた。簡単に腕が回ってしまう腰の細さと噎せ返るような愛しさに回した腕に力が篭る。
 もう抱いてしまおうかと。
 擡げた欲望を佐野の項に額を擦り付ける事で何とかやり過ごす。
「おい、くすぐったい」
 くくっと笑いながら抗議する声はどことなく甘さを孕んでいて、新田の耳朶に溶けるように響く。この小さな身体を全身が痛いほど求めているのが分かるから、思わず抱いた腰を更に強く抱き寄せれば、佐野は腕の中で困ったように苦笑した。
「どうしたんだよ、甘えた病?」
 安心しきったように背中を預けてくる恋人の香りにくらくらと眩暈がする。
 愛しくて、どうしようもないほど愛しくて。
 もう、こんなに手放せないところまで来ている。
「…別にいいじゃんか」
 ぽつりと呟けば、佐野は怪訝な顔をしながらくすりと笑って視線を寄越した。
「別にいいんだけどさ…言えって何の事だよ?」
 振り返ってそう問う、熟れた果実のように色づいた唇に自然と目がいく。そんな自分が浅ましくて、新田は溜息を零した。
「……俺の事、好き?」
 背後から抱き締めた腕の先、佐野の膝の上で新田の手が知らず知らず固く握られる。
 連絡も寄越さず、突然千葉までやって来て。逢いに来たんだと照れたように笑う佐野をただ嬉しくて、抱き締めた瞬間。
 湧き上がってきた、黒い不安。
 佐野はこうして何時まで自分に逢いに来てくれる?
 佐野はこうして何時まで自分を想ってくれる?
 そう思ったら、いつしか胸の内を蝕んでいた闇は肥大するばかりで。
「本当に俺とこうしていていいの?」
 弱気ともとれる発言をしておきながら、佐野を強く掻き抱いたのは『こうしていたくない』と言われたとしても離す気がなかったから。佐野の意思に関わらず離す気がないのなら、こんな事を聞くだけバカげていると思うのだけれども。
「ちゃんと、言ってよ」
 不安を取り除いて欲しい。その唇で。その唇から紡がれる言葉で。
「お前、何言ってんの?」
 不意に響いた、呆れ返ったような声が耳元をくすぐる。
「好きでもなけりゃ高い金払ってわざわざ逢いに来ねえだろ」
 やわい苦微笑を浮かべて、腕の中にいたはずの佐野はいつの間にか足の間に膝立ちになって、新田の頭部を優しく包み込む。
「何回も言ってんじゃん、好きだって。何を不安になることがあんだよ」
「…わかんねえよ、俺だって。でも何かさ…不安なんだよ、上手く言えねえけど…不安なんだ」
 そう言葉を切るとしがみつくように掻き抱く。
 胸の中に渦巻く黒い不安。こうして抱き締め合い体温を感じていても、根付いた不安は振り合えない。自分は一体どうしたんだと新田は心の中で低く呻く。好きだという気持ちがあればどこにだっていけると思っていたのに。どうしてこんな闇に囚われてしまったのか、わからない。堰を切ったように溢れ出した闇は、血流に乗って身体中を駆け巡り浸食していく。
 こんな自分を見て欲しくない。見せたくない。でも佐野になら。見せたくない弱さを佐野になら、わかってくれるような気がしたから。
「なあ、『特別』なんだよ」
 それは友情とか愛情なんかでは足りなくて。この言葉じゃないと言い表せないほどの強い想いなんだと。
 佐野は新田の額に唇を落としながら呟く。
「お前と何気なく交わした言葉一つ一つが俺にとってかけがえのないもので、お前のさりげない優しさが俺を支えてるんだよ」
 新田はどこまでも自分にとって必要な存在なんだと。
 佐野はそう言い聞かせるように、新田を掻き抱く。
「愛とか恋とかヌルイぐらい、それぐらい好き」
 恥ずかしそうに、照れたように。
 佐野が耳元で熱っぽく囁く。
「いつも思ってる。出逢えたのは偶然じゃなくて『運命』っていう必然だったんだって。もしあん時、すれ違って逢えなかったとしても、きっと出逢えていたはずだって」
 こんな恥ずかしい事を言ってるんだから信じろよと。
 熱い吐息を混じらせ、こんな告白をしてくれた佐野にただ愛しさが募って。赤くなった目許を隠すように胸に押しつけながら、新田は俺もと安心したように抱き締めた。


 幾つもの出逢いがあって、その中で君だけが特別で。どこにいても一人じゃないと教えてくれる存在なのだから。
 もう不安になる必要はないんだと、熱い口付けと差し出された従順な身体に教えられた。
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