桜の樹の下で逢いましょう
春。
俺達は花見に来ていた。いつもの顔ぶれで。
毎年恒例のイベント。
二十歳を過ぎてからは全員集まることは難しくなったが、逆になかなか会えないからこそ(代表合宿は別)、細々ながら続いていた。まあ、これぐらいじゃないとプライベートで会う事はないし。
それにしても。
みんな、グダグダだな。
日向さんは松山と飲み比べ。葵は絡み酒。翼は……一体何本、一人で空けたんだ……。
誰がこいつらの面倒見るんだろうか。三杉と岬はまともだが、そんなことするわけないし……。
あとは……俺だけ!?俺か!?俺なのか!?俺が面倒見るのか!?
マジかよ……。
俺も酔えればよかったのだが、あのバカがいる為酔えない……。そういえばアイツどこ行った?
「若島津!」
「何だよ、井沢」
「反町がいないっ」
「はあ!?お前、さっきまで一緒に呑んでただろっ」
「目ぇ離した隙にいなくなったんだよっ」
厄介だな。アイツ、酒癖悪いからなぁ。仕方ないな。
「探してくる」
「悪い」
立ち上がり、辺りを見回す。
やっぱいねぇ。
「井沢」
「ん?」
「酔っ払い達、よろしく」
「ムリ!ムリだってっ!帰ってこいよっ!」
「見つかったらな」
「ちょっ、ちょっと、若島津っ!」
叫ぶ井沢を無視して俺は歩き出す。
今までアイツを独り占めしてたんだ。これぐらい当然だろう。
でも、どこ行ったんだ、マジで。もしかして迷子か。……まさかな。二十歳過ぎて迷子はないよな。
あまり人気のない所まで行くと一際大きな桜が一本。
その傍に。
反町がいた。
あの時みたいに。
◇◇◇◇◇
ここは……どこだ?
さっきから似たような景色ばかり。
今日は入学式。
俺は迷子になってしまった。入試の時もそうだった。
広すぎるっ、広すぎるぞ東邦っ!
この学園は幼等部から大学まで同じ敷地にあり、一つの町のようになっている。とにかく広い。ムダに広い。ああ、日向さんはちゃんと会場にたどり着いただろうか。なんではぐれたんだろう。あのヒトも迷子になってそうだな。
ぐるぐると回りに回って俺は何故か中庭に辿り着いていた。中等部はどこだ?てゆーか中庭……だよな、ここ。ちょっとした公園みたいじゃあねえかっ!中等部!中等部はどこっ!!わかんねえよっ!
ふっと気配を感じて振り返る。桜の樹の傍に誰か…いる。気配を消して近付いてみると……。
アレ?岬?
そう思った瞬間、そいつは急に振り向いた。
「ミサキって誰?」
「は!?」
えっ、なんで…?
「今、ミサキって言ったでしょ?」
「あ……声に出てた?」
恐る恐る聞くとそいつは小さく頷く。
「残念、俺、ミサキじゃないよ」
そいつはそう言うと小さく笑った。似ているがよく見ると確かに違う。
「悪い。知り合いに似てたから……」
「そんなに似てるの?」
「ああ。遠目からだと岬かと思った」
「そっかあ」
岬モドキは少し困ったような顔を俺に向ける。
「俺、女の子に見えるのかなあ」
「はあ!?」
……見えなくもないけど……。
「だって、ミサキちゃんでしょ?」
へっ!?ああ、そうか。ミサキだけだと下の名前だと思うよな。
「岬は男だから」
笑いながら教えてやると頬をかあっと朱に染めた。
「ごっ、ごめんっ!俺、てっきり女の子だと思っちゃって……わっ」
そいつの言葉を遮るように一陣の風が通り抜け、桜の花びらが舞い上がる。
「……雪みたい」
ひらひらと俺達に降り注ぐ花びら。確かに、桜色の雪のようで。
「もう行かなくちゃ」
何処に?
何故か声が出なかった。
桜の花吹雪の中で佇むそいつがなんだか……とても可憐だったから。
「中等部の入学式、始まっちゃう」
そうだっ、入学式!
「会場、どこだ?」
「もしかして迷子?」
恥ずかしいが俺は小さく頷く。とにかく早く会場に行かないと。
「広すぎるもんね、この学校」
「…場所、分かるか?」
俺の問いにそいつの表情がさっと曇る。まさか……。
「…わかんない。俺も迷子なの」
マジでか……。
「ま、なんとかなるよ。さっ、いこーか」
迷子二人でなんとかなるのか?辿り着けるのか?
そう思ったがそいつはすたすたと歩き出す。
あっ。
「おいっ、待てっ!」
呼び止める声に弾かれたようにそいつが振り向く。
「えっ、なあに?」
不思議そうに俺を見遣る。
「花びら、ついてる」
さっきの桜の雪の名残だろうか。柔らかそうな黒髪の隙間に桜の花びらが一つ。取ってしまうのが惜しいぐらい真っ黒な髪に映える花びら。そっと手を伸ばし取ってやるとそいつに見せてやった。
「ありがとう」
感謝の言葉とともにふわりとそいつが笑った。
極上。そんな言葉が当てはまるくらいの笑顔で。
うわぁ。可愛いかも。
……ちょっと待て。男に可愛いはないだろっ俺っ。
「ヤバいっ!もう入学式始まるっ!」
焦る声に腕時計を見ると式開始五分前。
「走るぞ」
「場所、わかんないよっ」
「なんとかなるんだろう」
俺の言葉にそいつはくすりと笑う。
「うんっ。走ろ」
そいつは俺の腕を掴み、走りだした。
「ギリギリで間に合ったね」
「ああ」
「ね、なんとかなったでしょ?」
「そうだな」
「じゃ、俺、行くね。またね」
「ああ、またな」
そんな会話をして俺達は会場前で別れた。
あっ。
名前聞くの忘れた…。
あれから。アイツとは一度も会わなかった。クラスにもいなかったし、どうやら寮生でもないらしい。
俺は、もう一度逢いたかった。
もう一度、あの極上の笑顔が見てみたくて。
今日は始業式。もしかしたらと思っていたが、逢えなかった。
同じ学校、同じ新入生。
探せば逢えるのだが、そんな気にはなれなかった。
なんだかもやもやした気分で寮への帰り道をとぼとぼ歩く。寮に帰っても部屋にはどーせ俺独り。同室の奴の入寮が遅れているらしく、今まで独り部屋だったのだ。
寮に着き、部屋に入ると見慣れない荷物の山。
……今日来たんだ。どんな奴なんだろう。期待が膨らむ。
小さなノックの音に俺が扉を開けると寮監と……アレ?アイツ!?
「若島津君、この子が今日から同室の反町君。仲良くね」
唖然とする俺を余所に寮監はなにやらアイツに話し出す。
逢いたかった。逢いたかったけど……同室って。
「じゃあ反町君、あとで寮監室にくるようにね」
「はい」
寮監が戻り部屋に二人っきり。
「「あの」」
声が重なる。
「入学式のヒト…だよね?」
「あ……ああ」
なんで俺、緊張してんだ?
「あん時以来だね、逢うの」
そいつは小さく笑う。
「名前聞くの忘れてて……後悔してたんだ」
後悔してた?
俺も後悔してた。
「俺、反町一樹。3年間よろしくね」
「俺、若島津健。こちらこそよろしく」
俺の中で何かが動き出した瞬間だった。
◇◇◇◇◇
よく覚えてるな…俺。もうあれから十年になるんだな。
あの時と同じように気配を消して近付く。
「なーにしてんだ?」
声を掛けると驚いたように振り向き、俺の姿を認めるとふわりと笑った。
「桜、見てた」
「急にいなくなるな。井沢が慌ててたぞ」
「そうなんだ」
「戻るぞ」
「ん」
その瞬間。
あの時と同じように風が吹き抜け、桜の花が舞い上がって。
桜色の雪が俺達に舞い落ちる。十年前と同じように。
「ねえ」
「何だ」
「覚えてる?」
「十年前か?」
「ん」
「…覚えてる」
「あん時みたいだね」
「ああ、雪みたいって言ったよな、お前」
「よく覚えてるね」
「まあな」
覚えてるよ。忘れる訳ないだろう。初めて逢った日なんだから。
「俺もよく覚えてるよ。印象的だったから」
そう言うとふわりと笑った。
あの時と同じように。極上の笑顔で。
桜の樹の下で。
恋したんだ。
あの笑顔に。
そしてこれからも。
俺は愛するんだろう。
あの笑顔を。
これからもずっと。