まんじゅう怖い

「怖いって言えば…やっぱ怪我かなぁ」
「それはサッカーやってりゃ全員じゃんか。それ以外で」
「えー、じゃあ…無表情かなぁ」
「無表情?若島津みたいな?確かに怖い」
「僕は無表情が怖いんであって、若島津が怖いわけじゃないよ」
「でも、無表情=若島津じゃん」
「反町、若島津は無表情っていうより仏頂面じゃない?」
「似たようなもんじゃん」
「無表情と仏頂面は違うと思うけど」

 夕食も終わり、そろそろ消灯かという時間帯。
 血の繋がりはないはずなのに似たような顔をしている岬と反町は、談話室でいつものように取り留めの無さすぎる雑談をしていた。
 今回の議題は、大したきっかけは無かった筈なのに、今怖いと思っているものについて。
 別にそれはいいが、せめて本人のいない所でやれ。
 口から出そうになった呟きをグッと飲み込み、若島津は息を吐いた。
 たまたま居合わせた、というよりは後から来たのは向こうなのだけど。席を外すタイミングを無くし、文句を言うにも特に言葉が浮かばず、話題に混ざる寛容さも持ち合わせていない若島津は頭を抱える。
 そんな第三者的な存在である若島津に気付いていないのか、はたまた忘れているのか。二人は気にする風でもなく会話を進行させていく。
 若島津にとってはなんだか盗み聞きしているようで居心地は悪いのだが、ここで部屋を移動する選択肢を選ぶのは少し癪だった。

「取りあえず若島津のことは置いといてさ、岬はなんで無表情が怖いの?」
「だって、何考えてるか分かんないでしょ?どうやってからかっていいか分からないんだよね」
「確かにそうだね。…て、岬はいつもからかってるじゃんか」
「若島津はね。で、反町の怖いものは何なの?」
 岬がニコリと笑って先を促す。きっと聞き出した事をネタにして弄り倒すつもりなんだろう、と若島津は思う。そんな岬の企みを理解しているのかいないのか、反町は促され答えを考え口元に手を当てた。
「え…っと、特にないなぁ」
「本当に?子供の時とかでも?」
「子供の時はお化けが怖かったけど、今は流石にねぇ…」
 面白くないなぁ、と岬が呟いた瞬間。 

「お前、虫嫌いだったよな」
 あ、しまった。
 そう思った時には、もう遅かった。
 言葉にするつもりはなかったが、若島津はついうっかり声に出してしまった。
 言ってしまったものは仕方ないと、それをおくびにも出さずに読んでいた本を閉じる。
 反町はそんな若島津を見つめながら数回瞬きした後、にこりと微笑む。見慣れたうさん臭い笑顔に、若島津は目を細める。この後返ってくる台詞が簡単に想像できたからだ。
「え〜、そんなことないよ」
 やっぱりな、と誰に言うでもなく若島津は内心で呟く。同時に出た溜息は、軽く俯き頭を掻く振りをして誤魔化した。
「前、アレが出た時大騒ぎしてたよね」
 そういえば、と岬が不意に呟いた。反町を弄ってやろうという目論みが透けて見える笑顔で。
 その真意に気付いたのか、それとも二方向から同時に攻撃を受けることが予想外だったのか、反町は岬との距離を取るようにソファの端へとじりじりと移動しだした。
「え、いや、…だって黒いヤツだよ?仕方ないじゃんか」
「そういや、寮でも島野を盾にして逃げたことあったよな」
「うぅ…」
 男の癖に、と思わなくもないが生理的嫌悪は仕方ないし、言ってもどうしようもない。
 そう思うのだが、反町に限って言えば度が過ぎる。
 夜中に出ようものなら近隣の寮生(主に島野)を叩き起こし始末をさせ、当の本人は被害のない部屋へと避難しているのだから。
 以前、寮に出た時は騒ぎに目を覚ました日向が問答無用で踏み潰し、宿舎に出た時はたまたま出くわした三杉が無表情で叩き潰したのが若島津の記憶には新しかった。
「反町ってさ、カブト虫とかでもダメなんじゃないの?」
「そうだな、アレと色、艶、形が似てるからな。試合中に出てきたらボール追う前に一目散に逃げるんじゃないか?」
「カブト虫はアレと似てないじゃん!平気だよ!」
「どーだろうねぇ。前の騒ぎも大概だったし、分かんないよねぇ」
「確かにな」
「何だよ、二人とも!俺はアレがダメなだけなのッ、他は平気なのッ」
 盾代わりのつもりなのか、反町はソファに置いてあったクッションを掴み、両手を目一杯伸ばして翳す。多少意地の悪い攻撃に、被害者です、と言わんばかりの表情を浮かべて。
 もう少し押したら嘘泣きだろうが半泣きにはなるんだろうな、と若島津が更に言葉を続けようとしたら、反町がそれを遮った。
「…ッそ、そういうお前は怖いものないの?」
「話、反らすなよ」
 ちっ、と聞こえないように舌打ちをする。
「俺に分が悪い話なら全力で反らすに決まってるじゃん」
 堂々と言えたことか。
 岬を横目で見遣れば、やれやれといった風に嘆息を吐いた。これ以上、この場で追究する気はないようだ。
 仮にここでしつこく食い下がったところで反町の虫嫌いというかアレ嫌いがどうにかなるわけでもない。それなら、と若島津もそれ以上の詰るのは止めた。
「で、怖いものは何?」
 二人の追撃が止んだと見るや否や、今度は反町が食い下がる。
「俺の怖いものを知ってどうする気だ?」
 別に無視する話題でもないし、それならさっさと話を進めてしまおうと、若島津はテーブルの上に本を置き反町を見据える。
「全力でプレゼントする」
「バカか」
「可愛い茶目っ気だよ」
「全くもって可愛くない」
 いつも通りのやり取りに反町が満足そうに微笑む。
 内容はどうであれ、自分で遊べたらそれで充分なのだ、目の前の男は。
 それなのに何故か嫌いにもなれず無視も出来ないのだから厄介だ。
「で?」
「何だよ」
「だから、怖いものだよ」
 ばす、と乱暴に若島津の隣に腰掛け、下から顔を覗き込むようにして言う。顔を覗き込む体勢のせいなのか、元々の身長差のせいなのか、上目遣いになっている上に顔の距離が近い。
 反町が意図してそうしているのかどうか真意は未だ量りかねる。しかし、若島津はそれについては大分前から気にするのを止めていた。
 要するに。
「俺はお前が怖い」
 そういうことだ。
 あえて頭に浮かんだ文章の一言だけを溜息混じりに若島津が言うと、反町はいかにも面白くないといった風に拗ねた顔をした。
「そうやって誤魔化す」
「誤魔化してない」
「物理的に渡せないものを答える時点で誤魔化してるじゃんかッ。それにお前が俺を怖がるって何?笑えないよ」
 反町の言うことは真っ当で正論だ。だからこそ、若島津は面白くない。
 察しろとは言わない。だが、少しぐらいは考えてもいいんじゃないかと思う。
「…仕方ないか、お前じゃ」
 期待外れと言わんばかりに若島津は立ち上がる。それに引っ掛かったらしい反町が怒気を込めた口調で呼び止めたが、若島津は振り返りもせず立ち去ってしまった。

 数秒ほど睨み付けていたが、やがて飽きたようにソファに深く座り直し背もたれに 頭を預ける。それでも気が晴れないのか、すぐに頭を浮かし背もたれに肘をかけ、もう一度若島津が去った方向を眺めた。
「……変な奴」
 む、と唇を尖らせて言う反町を見て、それまで静観していた岬は「それなら僕は怪我しない身体が怖いね」とぼそりと呟いた。
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