想いと想いの狭間にて
「なあ日向…、どーなったらこんな状況になるんだ?」
さっきまで普通に話してただけなのに、とこの場に置いて、酷く間の抜けた質問を、松山は男を見上げながら問うた。
「さあな」
低い、吐息を乗せた声が、短く答える。
「だが、お前が悪い」
そう嘯き、男は松山に跨がったまま、ゆっくりとした動作でシャツを脱いだ。
刹那、微かに残る汗の匂いと、嗅ぎなれた男の匂いが松山の鼻先を掠めて。松山は少々引きつった笑みを浮かべた。
シャツを脱ぐ。
そんな、何て事ない、所作に見惚れていた自分に気付いたからだ。
松山はそんな中途半端な笑みを浮かべたまま、跨がれている体勢から抜け出そうと手足をばたつかせる。だが、元から体格差のある半裸の男から逃れられず、逆に肩をキツく掴まれ組み敷かれてしまった。
「何の冗談だ」
「冗談で男を押し倒す奴が何処にいる?」
「ちょっ……んっ!」
嘘だろう?と、返すはずだった言葉は、男の口内へと吸い込まれてしまった。
ガチリと歯がぶつかる痛みが走ったかと思えば、瞬間、唇が柔らかい感触に包まれる。
「ん、んんっ!」
唇を舌先で撫でられ、松山の背中が泡立つ。
何かが駆け巡る、そんな感覚。
こんな感覚を、松山は知らない。
強く押しつけられたかと思えば、戯れに下唇を噛まれ。息苦しさに口を開けば、待ち構えていたように舌を掬い取られる。
「ふ…ぅ、…ん……ぁ」
手が、肌が、震える。下腹から込み上げる何かが、何もかも押し流していく。
支配されていく。
熱に。男が与える、熱に。
ヤバいと、一握りの理性が訴えかけるのだけれども、松山はこの甘美な熱を押し遣る事が出来なかった。いや、もとより抗う気持ちなんてなかった。
押し退けるはずだった手を知らぬうちに背中にしがみつかせて、噛み付くはずだった舌に自ら誘うように絡ませていた。
最早、どちらのものか分からない、飲み下しきれなかった唾液が松山の顎を伝う。
粘膜が柔らかく擦れ合う感覚に溺れる寸前、日向の唇が離れた。薄く開いた、濡れた日向の唇から、はぁ、と吐息が漏れる。
酷く切なげに。
「…抵抗しねえのか」
眉を寄せながら、囁かれた言葉に。
この男は何を言っているんだろう、と松山は惚けた目で見上げた。
意味が分からない。
とりあえず、この男が言う抵抗とは、殴りつけてでも蹴りつけてでもいいから、この体勢から抜け出せと言う事なのは分かる。実際、それは何の造作もない事だ。ただ、お互い無傷というわけにはいかないけれど。
でも。
動けないように押さえ付け、この体勢を強いているのはこの男なのに、それを言い出すのはおかしな話だ。
「え…、して欲しいのか?」
だから、何とはなしに松山は呟いた。すると日向は、一瞬目を見開いて、そして怪訝そうな表情を見せた。
その表情に、松山は微かに眉を顰めた。
唐突な日向の行動に最初こそ驚きはしたものの、松山は別にこの行為が進んでも構わないと思っている。それを踏まえて、抵抗して欲しいのか?と、返しただけだ。
それなのに、その表情は何だ、と思う。
確かに日向とは好きだとか愛してるとか、そんなことを囁き合うような艶っぽい関係ではない。そういう関係と友達のような関係との狭間を、ズルズルと行きつ戻りつ進んでいるだけだ。その一段階先に進むのであれば、松山にとって気に病むことはないし、日向がそれをしたいのなら、それに反することはない。
だが、跨がって自分の身体に体重を掛けたままの半裸の男は、泣きそうな顔で怒っている。
「…なんで、てめえはそうなんだ…」
「は?」
そう日向は苦々しい口調で呟き、松山の襟元を掴むと、細い肩口に顔を埋めた。掴む手は心なしか震えている。
「…その気なんかねえくせに、どうして受け入れられるんだ」
耳元に顔を埋めたまま引き絞るように吐き出された言葉に、松山の頭が混乱し始める。
「別に……俺じゃなくてもいいんだろう?」
上手く言葉が理解出来ない。
「俺じゃなくても、他のヤツでも…例えば見ず知らずのヤツでも、」
元から口達者ではなく、必要最低限の言葉しか口にしない日向が、要点を得ないまま、吐き出すように言葉を紡いでいく。
「結局てめえは……誰でもいいんだろう?こうやって襲われても、受け入れちまうんだろう?」
訳の分からない日向の言葉は、ここで松山の許容範囲を超えた。
「何が言いたいんだよ、てめえはっ!」
余りにも意にそぐわない日向の言葉に、どの面下げて言ってやがる、と松山は肩口に埋められたままの顔を強引に上げさせた。
そして、後悔した。
何で……そんなに哀しそうなんだ?
その表情で、視線を松山に定めて、日向は尚も言い募る。
「俺は……お前の何なんだ?」
そんな質問に松山が咄嗟に答えれるはずもなく、ただただ、視線を返すのみ。
「…何とか言えよ」
日向の眉が苦しそうに寄せられて、僅かに潤んだ瞳が揺れる。
そんな顔をしないでくれ、と松山は心中で呻く。でも、そんな表情をさせているのは自分なのだから堪らない。
何と答えるべきか分からないまま、松山は考えを巡らせる。そして、ふと、一つの考えに行き着いた。
恋とか愛とか。
自分達はそんな甘い関係で括れるものではなく、もっと強く確固たる何かがあると松山は思っている。そして日向もそうだと思っていた。だから松山は自分達の関係をハッキリさせることなく、想いも口にしないまま、今までやってきた。
でも、そう思っているのは自分だけだとしたら?
日向がそんな言葉を欲しているのだとしたら?
めんどくせえヤツだな、と松山は小さく溜息を漏らした。
愛し愛される証拠なんてそんなあやふやで明確でないものを、欲して何になるというのだろう。もし仮に口にしたところで、想いが全て伝わる訳ではないし、それに伝えること自体が難しいというのに。
だけど、日向の望みはそういった言葉であって。それが望みとあらば、たまには応えるべきかもしれない。
そっと手を伸ばし日向の頬に触れる。
いつもなら柔らかい頬が、今は強張ってしまって、少し硬い。
「…誰でもいいわけじゃねえよ。他のヤツなら、押し倒された時点で殴ってる」
触れられるのも、抱き締められるのも。
キスするなら、その先に進むなら。
「俺は……お前がいい。お前だけがいい。それ以外はいらねえ」
今更なに言ってやがると言わんばかりに見上げた松山の表情に、日向は一瞬固まるが、口の端を吊り上げるのに時間は掛からなかった。
「……随分とまあ、熱い告白だな」
「よく言う、ねだったのはてめえじゃねえか」
「……確かに」
「で、てめえは?」
すぐに何時ものように皮肉の笑みを浮かべた男は、これから沢山言ってやるよ、と呟いて。頬に添えられたままの松山の手を取ると、溺れるような熱いキスを落とした。