理性と欲望の狭間にて

 何度となく歩いた道。目的地まではそんなに遠くない、…はずなのに。それがやたら遠く感じるのは、きっと、意外にサラサラな髪の毛が首を擽って歩く事に集中できないからだ。その上、重いし。
 何だって、こんなことに…。
 てゆーか、誰がこんなになるまで飲ましたんだ……。
 いくら内心で呻こうが嘆こうが、状況は変わらない。昔からあまり運のいい方ではなかったが、最近拍車がかかっているような……、いや確実に拍車がかかっている。

 たまにはみんなで飲もうよ。
 ソレを言い出したのは翼。実行したのは反町。
 そんなに行く気はなかったのだが、たまにはと思って行くと返事をしたものの、取材が押して遅刻はするわ、着いたら着いたらでいつになく酔っ払った松山に絡まれるわ、ゆっくりと飲む暇もなく世話を押し付けられるわで。
 運が悪いと言うより他はない。

 それにしても。
 酔っ払いとは何故こんなに重いんだ?まだ歩けるだけマシなのは分かってはいるが、いかんせん自分とさほど体格の変わらない酔っ払いを引き摺って歩くのは、自分の体力を持ってしても限界に近かった。出来れば捨ててしまいたい。でもその辺に置いて帰れば、後日この酔っ払いによって、自分にとんでもない災難が降りかかって来るだろうから、それはしないけども。

 何となく溜息が零れて。それとほぼ同時に、ふわり、と甘い匂いが俺の鼻を掠めた。
 チラリ、と肩に寄り掛かる松山を盗み見れば、微かに頬を赤らめて、ボンヤリと足元を見ていた。
 その表情を、可愛い、と思ってしまった自分が悔しい。

 松山に対して、そういうよからぬ感情を抱き始めたのはいつからだろう?もしかしたら、出会った時から抱いてしまっていたのかもしれない。
 正直厄介な感情だ。
 抱いている感情が、行き過ぎた憧れや仲間意識なら、まだよかった。事もあろうか、あの松山に対して湧き上がるのは愛情とか性欲とか、そういった類いのもので。
 こんな感情こそ、その辺に捨ててしまいたい。
 捨ててしまえたら、きっと楽になれるのに。


「おら、着いたぞ」
「ん……」
「起きろ」
「んー……」
「おい、松山」
「んんー……」
 …このやろー。
「おい!着いたって言ってんだろっ、松山!」
 そう言ってやれば、んー、と唸りながら松山が俺の鼻先に鍵を差し出した。
 俺に開けろってことかよ、てめえ。
 酔っ払いに何を言ってもムダなので、それを受け取り玄関を開ける。
 相変わらずの散らかった部屋。廊下まで散らばった衣服やらなんやらを足で端に寄せながら、松山を引き摺る。そしてリビングのソファに横たわらせた。
 これでお役御免、のはずだった。

「…ベッドで寝る」
 小さく呟かれたその言葉に、軽く殺気を覚えたが、相手は酔っ払い。まともに取り合っては俺が疲れるだけだ。仕方ねえと、今まで入ったことのない寝室に運び込んだ。
 そしてやっぱり散らかったベッドに転がす。
 俺の役目はこれで終了。これ以上付き合いきれねえ。さっさとここから立ち去ろう。よからぬ気分になる前に。
「ん……寒い」
 こいつは俺に殺されたいのか?どこまで世話を焼かせたら気が済むんだよ。
 怒りを溜息で誤魔化して、掛け布団に手を伸ばした、刹那。
「っ!」
 グイッと、腕を強く引かれて、俺はベッドに、いや松山の上に倒れ込んだ。
 まさか、俺を掛け布団代わりにするつもりか?いやいや、酔っ払いとはいえ、そりゃあねえだろう。
 だが、起き上がろうにも、ガッチリとホールドされ身動きが取れない。

 なんなんだ、何がしたいんだ、こいつは。

「離せよ」
「…」
「おい」
「…」
「掛け布団でも抱き枕でもねえんだぞ、俺ぁ」
 どんだけ腕を突っ張ろうにも、この酔っ払いは抱き締める力を緩めるどころか、ぎゅうぎゅうと力を込めるもんだから、嫌になる。
 あ、なんか泣きそうになってきた。これが素面ならもろ手をあげて、遠慮なく頂くところなのだけど…。何でこいつは酔っ払いなんだろう?
 こんなにくっついてたら色々ヤバい。理性が焼き切れそう。それでも何とか理性を保って、最悪な事を起こさないのは、ひとえにこいつが酔っ払いだという事実が理性を繋ぎとめているに過ぎない。
「いい加減、離せ、バカ」
 とりあえず、この体勢から抜け出さないと。
 俺ぁ、勢いでそんなこと、したくねえんだよ。
「お前さぁ」
 それは酔っ払いと思えぬほどしっかりした声に。驚き、松山を見遣れば、酔っ払いとは思えぬほどシッカリとした双眸が俺を見据えていた。
「ちょっとぐらい…誘われてるとか思えねえの?」
「何言ってんだ、てめえ。さっさと離せ、酔っ払いが」
 驚くよりも考えるよりも、先に口が動いた。
 そりゃそうだ。考える余地もない。たかが酔っ払いの戯言。こんなこと、こいつが本心で言うわけがねえんだ。
「ワイン三本で俺が酔うわけねえだろ、バカ」
 いやいや、酔うに充分な量じゃねえか。
「…ったく、めんどくせえ」

 それは俺の台詞だ、バカ。
 俺がどんだけ苦労して、お前の隣に立っているのか、お前は分かっているのか?
 俺がどんだけ努力して、お前に手を出さねえようにしているか、お前は分かっているのか?
 必死でお前への気持ちを抑えているのに。

 それなのに、お前は。

「俺のこと、好きなんだろ…。だったら、こんな状況で襲うぐらいのことをしてみやがれ」
 何かが、プチン、と音を立てて切れた。
 気が付けば俺は松山の唇に噛み付いていた。舌を侵入させても、それに抗うことなく松山は絡ませてくる。そこでようやく、俺は本当に誘われていたんだと気付いた。
 何で、と考える前に身体が動く。さっき音を立て切れたのは、繋ぎとめていた一握りの理性。それがなくなった今、俺の中には欲しいという欲望しかなく。
 引きちぎるようにシャツを肌蹴させ、そこから覗く白い肌に吸いつく。自分が焦っているなんて、そんなことは分かっていた。でもそんな自分の取り繕う余裕などどこにもない。
 それほどまでに、俺はお前を…。


「ふぁッ…、んッ…ひゅ、がぁ」
 最初こそ苦しそうに表情を歪めていたが、慣れてきたのか喘ぎに艶っぽさが滲む。それが俺の欲を更に煽り立てる。

「…ッ松山」
「んッ…何」
「…好きだ」

 微かに松山の唇が動く。音にはせずに、笑みを浮かべたまま。

『…知ってるよ』
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