恋、なんかじゃない・2

 恋の病、ってなんだよ。
 恋の病って、恋してなきゃダメだろ?
 て、いうことは……ナイナイナイ。
 それは、ナイ。


 というわけで、部屋に戻る新田の足取りは、非常に重かった。
 反町は新田の抱える不可思議な感情や行動にもっともらしい名前を付けたが、彼にはその名前が全く違うように思えてならなかった。
 ただ、そわそわする、と。
 闇雲に歩き回りたくなって、宛もなくキョロキョロしたくなって、聞いた話が片っ端から耳から耳へと通り抜けてしまう、と説明しただけなのに。
 相手が、佐野だって、言ったらよかったかなぁ。
 説明する際に、反町にはまだその特定の人物を明かしていない。言ってたなら、これが恋の病ではなく、もっと適切な言葉で表現されていたかもしれない。そう思えて、失敗したと、新田は思った。これ以上からかわれるネタを提供したくないからと、咄嗟に隠してしまったけど、そうせずに話しておけば、余計な事で悩まずに済んだかもしれない。
 恋の病なんて、名付けられずに済んだかもしれない。
 第一、恋の病ってなんだよと、苛立たしげに頭をぼりぼりと掻き毟りながら、新田は思う。よりによってこんな名前を付けなくてもいいのに。
 自分の抱える感情は、恋なんかじゃない。
 アレは確かに見た目は女の子みたいななりだが、どう見たって男だ。
 完璧に恋愛対象外だ。
 もし仮に。
 男である、というところに目を瞑ったとして、好きになる要素はあるんだろうかと、新田は唸りながら、ひたひたと廊下を歩く。
 顔は可愛い。目は真ん丸でおっきいし、睫毛は長いし、色は白いし、背はちっちゃくて、守ってやりたくもなる。
 でも、問題は中身だ。
 口は悪いし、小生意気だし。それに…。
「…可愛げないし、いつまでたっても腹割って話してくれないし、それに前髪で顔半分隠れてるし」
「それって誰の事?」
「んなの佐野の事に決まってんじゃ……ってうわぁああっ!」
 零れた呟きに突如として闖入してきた声に、答えるように喋ってしまってから声の主に気付いて、新田は奇声を上げてしまった。振り返れば、佐野が胡乱げな目をして耳に手を当てた所だった。
「何でこんなとこにいるんだよっ!?」
「…見りゃあ分かるだろ、風呂上がり」
 確かによく見れば、肩にかかる髪はまだしっとりと濡れていて、片手にはお風呂セット。
「悪かったな、可愛げなくて、顔半分隠れてて」
「あー…まぁ否定はしないけどな」
 面と向かって言うつもりはなかったのだが、謝るのも撤回するのも何だか癪で、新田はばつ悪そうに唸った。それを尻目に、佐野はやはり可愛げなく鼻であしらう。
「…そーいうとこが可愛くねーんだけど」
 これでムキになって言い返してくるとか、何らかのリアクションが返ってくればこんな印象を抱かずに済むのだけど、佐野は一端の大人みたいな反応しかしてこない。その態度は新田にとって、鼻について腹立たしくさせるものでしかなくて。今回もやっぱりムカついたのだから、新田は佐野への感情を、改めて恋ではないと結論付けた。
 だったら、この気持ちは何なんだ?
 このそわそわは何なんだ?
 結局、悩みは振り出しに戻ってしまった。彼には、この感情の正体も名前すらも分からないのに。
「…何ぼーっとしてんだよ。邪魔」
「邪魔って何だよっ!」
 訳の分からない感情に慣れない頭を働かしている時に、佐野の冷たい声が突き刺さって新田はいきなりいきり立った。
「んなとこに突っ立ってたら、部屋入れねえだろーが」
 それに対して、佐野は全く動じずに、呆れたように答える。
 ……マジでムカつく。
 他に言い方があるだろうと、そう思ったのだけれども、よく見れば確かに佐野の部屋…つまりは自分の部屋の前で立ち尽くしていた。これなら、邪魔だと言われるのも仕方ないのかもしれないと、思い直して、新田は立ち位置を少しずらした。佐野は相も変わらず胡乱げな視線を投げ掛けたまま、ドアを開ける。そのまま部屋に滑り込む様子を、新田は何となくぼんやりと眺めていた。
 佐野はどうして、こんな態度しかとらないのだろう。こんなやり取りは日常茶飯事で、特に珍しい訳ではない。だけど、新田の中で、妙にそれが引っ掛かった。
 昔はこんな風じゃなかった。
 憎まれ口は叩いていたものの、こんな大人みたいな反応はしなかったはずだ。もっと子供染みて…例えばさほど自分と変わらなかったような気がする。
 佐野が変わったのはいつからだ?
 そこに、この感情の、何かヒントみたいなものが隠されているような気がする。佐野の自分に対しての対応が変わったから、だから、その態度が鼻についた。その鬱憤か何かが、たまたまあの時、あんな形で表れて、現在の状態に至ったんじゃなかろうか。
 ……ちょっと待て、俺。
 もしそうなら、自分は随分前から佐野を意識していた事になる。それは違う。意識し始めたのは、少なくともつい先日からだ。
「…部屋、入らねえの?」
 その声に、新田はハッとして、視線を上げた。視線を上げた先にあったのは、先ほどの胡乱げな瞳でもなく、いつもの小バカにしたような瞳でもなく、どこかで見た、何かが篭ったような瞳。それが前髪の奥から、ひたと見据えるものだから、新田の胸が驚いたように跳ねた。
「え…、あ…、入る、よ」
 とりあえず、そう答えてみたものの、それは間違いだったと後悔したのは、扉を後手で閉めたあとだった。
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